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京おかきの歴史

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弘源寺

弘源寺

現在の安養寺表門

現在の安養寺表門

現在の左阿弥

現在の左阿弥

おかきはいにしえの都人の嗜好品として好まれていました。江戸時代、嵯峨天竜寺の塔頭、弘源寺に身をよせていた湧蓮(ようれん)上人(1715~74)は里人が差し上げた餅でおかきを造り里人に与え、自らも好物だったと伝えられています。

また、円山公園(京都市東山区)奥にある丸山安養寺、双林寺、正法寺の坊さんたちは「かき餅」を製造販売していました。元禄以前からです。このうち安養寺の製品が特に優れ「丸山欠餅」(まるやまかきもち)と呼ばれ、箱に入れ、土産物として遠方に送られていました。その製法は手造りとして、基本的に今も変わりません。江戸から京を見た評判記「富貴地座位」(安永6年・1777、江戸で出版)は、京名物の第3位に「丸山欠餅」を掲載しています。安養寺の塔頭、左阿弥(さあみ)はその製法を明治になっても伝えていました。

後に「京都坊目誌」(明治29年~大正3年 1896~1914)は丸山欠餅について「この欠餅の製法は、ひとり左阿弥に伝うるだけ」と記していますが、京おかきの組合は明治40年(1907)に発足しています。組合員は15名でしたが、それ以上の「おかき、あられ」の業者が存在していたと考えられてます。